PUNPURIN’s BLOG

日本語の練習利用のブログです。

村上春樹の「風の歌を聴け」を読みました。

はじめに

 初めまして、日本語を勉強しているタイ人の大学生です。本や小説がとても興味が入るので今まではタイ語でも英語でも日本語でもたくさん読みました。村上春樹の長編小説作品は英語で七冊くらい読みました。

 このリストは一番最初に読み終えた本から先頃のを並んでいます。この中で、一番好きな小説は「海辺のカフカ」、その次は「1Q84」です。村上春樹の小説は特別なテーマと雰囲気があるから、どんなに長い物語であっても、誰でも夢中に読められます。私は読みながらいろんなことを考えさせて、とてもいい気分になります。とりあえず、どんな風に考えても、村上春樹の小説作品は素晴らしかったです。

 

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  今回は英語の代わりに日本語で読みたいと思います。選んだ小説は村上春樹のデビュー作の「風の歌を聴け」です。

 

1970年夏、あの日の風は、ものうく、ほろ苦く通りすぎていった。僕たちの夢は、もう戻りはしないー"

ー「風の歌を聴け村上春樹

 

 友達から聞いたんです、①「風の歌を聴け」、②「1973年のピンボール」、③「羊をめぐる冒険」、と④「ダンス・ダンス・ダンス」は四冊で同じシリーズです。別々に読んでも分かれますが、全部読めば、もっとストーリーが知れる、例えば、主人公の身元や将来の活躍です。

 その友達がおすすめした読み方はその一、①、②、と③で主人公の友人の「鼠」の話が続いています。その二、③と④で「羊」の話です。この「羊」はいろんな象徴があって、象徴の考えが好きならこの方法が好きになるはずです。私はもう「羊をめぐる冒険」を読んだから、その二の方が気に入りました。しかし、「風の歌を聴け」はこの作者のデビュー小説だと知って、気が変わりました。今、四冊を全部読みたいと思います。

 これからは「風の歌を聴け」のレビューが書きたいと思います。この小説は主人公が帰省したから、友人の「鼠」の紹介した女の子の退屈な恋愛の話です。

 初めに、私の全体像の考えから書きます。この小説は面白いだけではなく、精巧で素敵な小説作品です。村上春樹の一番最初の小説だと信じられないくらいです。ストーリーはゆっくり語られますが、全然飽きずに読みました。滅裂なプロットの必要はありません。その代わりに沢山の小さな詳細は一つ一つ並んでいて、まるで塩と胡椒を入れたタマゴサンド、普通料理だが、素晴らしい味ができます。その通りで、この作品は幻術という小説になったんです。

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 本のカバーから見ましょう、色は鮮やかで、ポップな感じですね。オレンジ色の空と暗い青色の海について、人生の光と闇や現実と作った事のテーマを持っています。この小説は「井戸」を暗闇と流れる時間の象徴で使っているそうです、それは「水」も「海」も同じ意味があるという考え方ができます。それに美術に関して、オレンジ色と青色は逆な色です。絵の合成は全て、小説の内容の象徴です。先ずは海の見える街、海の向こうの輝いていたネオンつけた建物、宇宙の象徴の土星、と主人公の「僕」のよく吸っている煙草が見られます。

 

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 私の一つ目の焦点は言葉づかいです。日本語バージョンの本だから、言葉の美しさを感じさせるんです。村上春樹は簡易な言葉より同じ意味のちょっと変わった言葉を使います。よく見た言葉は「話す」って動詞を書くときに「語る」を使ってすませたんです。他には、「音を聞く」の代わりに「音を聴く」、と「僕は思い切ってそう聞いてみた」の代わりに「僕は思い切ってそう訊ねてみた」を使います。私は外国人にとって、これは日本語以外に存在していない美しさなんです。

 よく書いたパターンはやはり「何故そう思う?」って問題と理解するの難い答えのセリフです。なぜでキャラクターたちはいつでも「理由」を探しているんでしょう?人間は複雑な生き物のテーマを伝えているからって私はそう思います。

 1970年に設定するこの小説は第二次世界大戦についたことも書きました。主人公の親は戦争に参じたからです。このテーマは「飛行機」で戦争用の飛行機を説き示ます、二度も現れたんです。私の気に入ったセリフは飛行機についての比較です。

15年かけて僕は実にいろいろなものを放り出してきた。まるでエンジンの故障した飛行機が重量を減らすために荷物を放り出し、座席を放り出し、そして最後にはあわれなスチュワードを放り出すように、」

ー「風の歌を聴け」(p11) 村上春樹

  この小説を読む前に、飛行機があるの小説や映画も見ました。飛行機といえば、戦争関係の意味が多いです、例えば、アントワーヌ・ド・サン=テグジュペリの「人間の土地」、百田尚樹の「永遠のゼロ」、ちなみに、スタジオジブリのアニメーション映画の「風立ちぬ」と「紅の豚」もあります。これは日本にでも、海外にでも、文学の大切な一つの特徴とされます。

 村上春樹第二次世界大戦のテーマを持って「風の歌を聴け」を他の同じテーマのある話の前置きとして書くべくです。

 ある人間の日々を語る以外に楽しめることの皮肉な比較があって、笑わせるんです。主人公の「僕」は自分の思ったことの半分にしか言えないっていう特徴について、こういうを言います、

  「それがクールさとどう関係しているのかはぼくにはわからない。しかし年じゅう霜取りをしなければならない古い冷蔵庫をクールと呼び得るなら、僕だってそうだ。」

ー「風の歌を聴け」(p113) 村上春樹

 よく考えてみると、この比較は「人の弱さ」の皮肉な意味があります。「クール」って呼び方は静かで大人っぽくな人に褒める、なお、ポジティブな言葉です。それにも関わらず、その褒められている人はこの霜取りをしなければならない古い冷蔵庫みたいに、傷だらけの心を持っているかもしれません。

 

 ムードのセンスがすごく強いところは、急に「嘘つき!」って主人公の彼女が言ったところです。そのパートは最初から平和的な空気で過ごしずつ語ります。すると突然、ボルド太字「嘘つき!」が現れたんです。これはまるで、主人公に敷かれていなく、読者の内心へ送ったメッセージです。自分でもちょっとびっくりしました。

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 急に現れることといえば、気に入り抽象的なところがあります。それはミシュレの「魔女」のことです。この「魔女」の内容の何が「風の歌を聴け」のストーリーに関係があるのでしょうか。読者に二つ伝えられたことは主人公が三人目の彼女が死んだからこの本を読むこと、そして彼は「私の正義はあまりにあまねきため」と言うところが好きである。

「ロレーヌ地方のすぐれた裁判官レミーは八百の魔女を焼いたが、この「恐怖政治」について勝ち誇っている。彼は言う、「私の正義はあまりにあまねきため、先日捕えられた十六名は人が手をくだすのを持たず、まずみずからくびれてしまったほどである。」

ー 篠田浩一郎・訳

 私はこの「私の正義はあまりにあまねきため」の「あまねき」をはっきり分かりませんでした。そのために、私はネットで意味を探してみました。すると、同じことを知らない人が結構多くであるそうです、それより、この人たちはみんな、「風の歌を聴け」を読んだから聞いたんです。

 「あまねき」は「あまねし」と同じで「広く隅々にまで行き渡っていること」って意味があるそうです。私の考えはもしかして、主人公は自分の内的が裁判官のレミーにぴったりと思って、自分の何かを人間性や世界に感じられたかっているんでしょうか。主人公の特徴はもともとから言いたいことを半分にしか語られません。だが人間の自然は欲望があるものです。あと、別の考え方もあります。ちょっと、この前の「嘘つき!」のことと比べてみましょう。主人公は自分が嘘をしてないと信じているんですが、彼の精神は断っているかもしれません。普通には本当のことを伝えたら、困る必要はありません。でも、その「嘘つき!」はボルドで、言葉の強さが感じられます。主人公はその言葉から自分の「罪」を気付いていることも考えられます。そのせいで自分は誰かからの処罰を受け入れたいんです。そう感じているながら、裁判官のレミーの「私の正義はあまりにあまねきため」がその内的に当てたんです。

 村上春樹の小説にいなければならないのあと一つのテーマは、「人の寂しさ」です。「風の歌を聴け」にはキャラクターも多くないし、主人公の友人の「鼠」にもどんな時でも会えられる人ではない。主人公のこの旅の帰省したことはまるで寂しさへの旅程です。「鼠」以外には主人公の話をかけた他の人もありますが、特別に極端な表現や興味が持っていません。キャラクターの冗談するや明るくて笑えるところはひとつでもありません。話したことは普通な感じで、このようにしています、

「止めた?」

「止めたんだ。」

「さて、何処かに行きますか?」

「動物園。」

「いいね。」と僕は言った。

ー「風の歌を聴け」(p105) 村上春樹

 ポイントは相手の喋った言葉を繰り返して話すことと「いいね。」って言うシンプルな返事とかあります。ちょっと「興味ない」っていう感じがします。主人公の言葉は言わなくてもいいな言葉です、別に自分の強い意味の意見や大切な内容を加えていません。現実の社会とこのような会話をすると想像してみれば、きっと「嫌な人」と言われるんでしょう。めったに他のキャラクターと関係を作らないの上に、この小説の主人公は見えない壁を作って、自分を取り籠めます。その結果、彼は寂しさのシンボルの一人になりました。

 場面の描写も寂しさを伝えると思います。

「海から山に向かって伸びた惨めなほど細長い街だ。川とテニス・コート、ゴルフ・コース、ずらり並んだ広い屋敷、壁そして壁、幾つかの綺麗なレストラン、ブティック、古い図書館、月見草の繁った野原、猿の檻のある公園、街はいつも同じだった。」

ー「風の歌を聴け」(p104) 村上春樹

  「街はいつも同じだった。」ってセリフは色々な意味がありますが、「どうしてそう思う?」と私が考えてみると、きっと「いつでも見ているから、」って答えが出るんでしょう。これについて、二つの理由が考えられます。一つ目は、子供のころが住んでいた街だから、懐かしな思いが出てくる。と二つ目は、どんな時でもよく街を見ているから、変わったことより、残ったことを向きます。「いつも同じ」って言葉は、普通に言える言葉でわなく、毎日見ていないと言える自身がなくなります。しかし、帰省したばかりの主人公は自然に言います。これは親のように、いつも自分の子供のことを見守るから、子供が大きくなって大人になっても、何も変わらないと思っていることです。この理由で、私は主人公と街の関係が人間性とのは何倍も強いだと思います。だが、街は生きていません。つまり、この主人公やこの小説のことと言えば、「寂しさ」でなくてなんでしょう。

 人は普通な人生を続けると、いろんな人やことと出会って、深い関係を作ります。全てはただ一時的なものって、よくわかることにも関わらす゛、人の寂しさはまた「繋がり」を作って、自分の心に傷つきます。結局、人間は自制を失われるんです。

「あらゆるものは通りすぎる。誰にもそれを捉えることはできない。僕たちはそんな風にして生きている。」

ー「風の歌を聴け」(p152) 村上春樹

 

 私の「風の歌を聴け」のレビューはこうして終わったのでした。みんなさまはこの小説についてどのように思われますか?